ペーパーテストの入塾テストはしていませんので、最初からいわるゆる出来る子ばかりだったわけではありません。しかし着実に模試の結果などは上昇しています。現在の成績などは関係ありません。夢実現に向けて共に頑張れる仲間を募集しています!!!
この進学率の背景には、隣接している京都の影響が大きいといえます。京都は全国的にみても大学機関や教育機関が集中した場所です。滋賀県に住んでいても、京都の私立小・中学校に通う子どもたちは少なくありません。このような状況下の中で、安曇川高等学校、虎姫高等学校は、中高一貫校を目指して動き出しました。(平成21年4月開校予定)
●「まる暗記」よ、サヨウナラ! −時間をかけても考えることから
暗記することは時と場合によっては必要かもしれません。しかし、すぐに吐き出して忘れる「まる暗記」は時間の消費です。そんなものは、その場しのぎのうすぺっらなものでしかありません。
私たちは、時間をかけてゆっくり考え、身につく学びをする必要があります。
もう一度「自分のいままでの学び」を振り返り、考える学びをこの機会に考えてみましょう!
◇1.なぜ、考える学びが必要なのか!?
−英単語、英文法をまる暗記しても、英語は使えない!!
この単語が重要だから覚えなさい。テストにでるからこの構文を覚えなさい。こんな言葉をよく耳にしませんか? たしかに、テストという枠、学校という枠では通用するかもしれない。しかし、「世界」という舞台に飛び出したとき、はたして通用するのだろうか? よく、“空港にて”、“ショッピングにて”、“学校にて”という場面を想定した英語構文がある。相手がその構文通りに答えてくれるロボットであれば通用するかもしれない。しかし、相手は人間である。その時の気分、相手の顔を見て言葉を変えて話してくる。英語のみならず、日本語でもそうだが、相手の話す単語一つ一つを理解してコミュニケーションしているのではないのである。じゃあ、どうして相手のいうことが理解できるのか? それは、相手が何をいいたいのかをいつも考え、「推測」しているからである。このことは日本語の日常の言葉の使い方を見ればよくわかる。いつも相手の表情や声色又、場面の状況を含めて、「この人はこういうことをいいたいんだ」ってことを了解しているのである。じゃぁ、文章になったらどうだろう。当然、文全体の流れの中で理解しないと、とんでもない誤解が生じる。
つまり、ここでいいたいことは、ブチブチと分断されて暗記する「英単語」「英文法」という学び方では使える英語はいつまでたっても身につかないということである。だからといって「英単語」「英文法」の勉強などやめろといっているのではない。むしろこれがなければ使える英語を修得できないのも確かだ。「英単語」「英文法」を学ぶことの意味が了解されていないところにこそあるのだ。<英語が使える>とは英語を訳すことではなく英語で考え、英語で自分の意志を伝達することなのだ。そのためには、先程述べたように日本語と同様、相手が何を言いたいのかを常に考え「推測」しなければならない。この推測ができなければ英語で考えてしまうことなどとてもありえない。いつも訳してしまうという頭のモードが固定化してしまうのである。この「推測する」ことを容易にするためには、短い文章(童話や絵本など)から次第に長い文章を読むことが必要になってくる。そのことを踏まえて、文法練習に取り組めば単なる暗記学習ではなく、使える、できる英語が修得できる。
◇2.なぜ、考える学びが必要なのか!? −分断された科目学習を生きる学びにするために
英語などの語学と呼ばれる学習においても、分断された「まる暗記」は意味がないということを理解していただけたと思うが、他の科目学習にもそれはあてはまる。
私たちの多くが苦手とする数学。「あの公式を覚えなさい」「この問題がでたら、こう対応しなさい」というのが現状の数学のイメージではないだろうか? しかし、数学とは「?」に対して「こうじゃないか?」「○○という方法もある」「○○だから、○○なんだ!」というように人間に様々なことを「考える」機会を与えてくれる学問ではないだろうか。しかし、機能的に社会を組織するために数学は、いや理科や社会も「考える学習」から分断された「暗記学習」に変わってしまった。
では、現実問題としてどうとらえ、どうすればよいのか? そのひとつに出会いをつくることがある。「本を読む」ことも出会いのひとつである。読書での出会いは、「生きる」ことの切実さと通底するという意味において、統合的な視察をもつ学び方を発見する。例として、「世界のたね」(発行所:日本放送出版協会)という本がある。この本はギリシア時代から現在までの科学の歴史が物語風に描かれている。「なぞ」に挑んだ研究者たちの足跡が凝縮されたこの本の中には、<なぜ、考えることが私たち人間に必要だったのか?>というメッセージがこめられている。この本を読むことによって機能的、分断的に学んでいる数学、理科が実は「こんなにおもしろいものだったのか」。そして、数学、理科の考えとはどんな考え方によるものかが、おのずとわかるはずである。
◇ 最後に現実問題として、機能的、分断された学習に余儀なく取り組んでいる子どもたちに、「時代を知り、自分を知る」ということを伝えたい。そのことにより、いまの自分にとって本当に必要な学びができる学校をえらんでほしい。